決して自分が負けてしまうと言う意味ではありません。


相手を勝たせることで人生が豊かになる場合もあるということです。

相手を負けさせては良い人間関係が保てなくなる。

例えばこういうことです。オセロゲームをやったことはありますか?
私は、それが大好きで小さい頃から家族や友達とかなりの頻度でゲームをしていました。当然強くなっていきます。反復繰り返しているわけですから。(ある意味、根性稽古かな)

私が学生の時でした。

新学期、新しいクラスに入った時、これから仲間や友達ができる大切な時期です。
そんな時、私のバイト先にお客さんとして食事に来てくた同級生がいました。ありがたくてよくお冷のお代わりを注いであげたものです。(餃子のサービスをしてあげるチカラはありませんでした。まだ新入りだったし、何よりもまだ若くてそんなことにも気が回らなかったです。)そこはすごく美味しい街中華の店でした。ラーメンメインの店なのに野菜炒め定食やチャーハンばかり注文がありました。ラーメンがまずいわけでは無いんです。なぜって?そこの主人は野心家で、1億円貯金するためにラーメン屋を始めたわけですが、数年で目標達成し(ね、けっしてまずいわけではないんです。)悠悠自適の生活を始めます。42歳でですよ。まだ若過ぎる…そんなことはどうでもよくて。勝負の話でしたよね。
バイト終わりに食事に来てくれる同級生も一緒に遊ぶようになりました。店のかたずけや掃除の間もずっと店で待っててくれました。全部終わると店の主人やバイト先の先輩たちと一緒に店の2階で食事したりお茶したり話したりゲームしたりするわけです。
その同級生がオセロをやろうと言ってきました。本人いわく強いらしく負けたことがないとかなんとか、なんか自慢ぽくて、腕前を披露したいのか執拗にやろうやろうって言うわけです。

私は、受けて立つことになりました。

その頃オセロをやる機会はなかったものの、幼い頃からたくさんやってて必勝パターンは結構知っています。ゲームを面白くするために四隅を相手にあげてからゲームをスタートすることもあったほどの腕前でしたから。
同級生は、そんな私を相手にやろうってわけです。自慢したくて腕前を披露したくて同級生は周りのみんなに何かを見せたくて。
しかし、私はいとも簡単に勝ってしまうわけです。何度やっても同級生は勝てなくて、しかも半分も打たないうちに勝負がついてしまいます。打つ手が無くなってずっと不本意にただ順番でオセロを打たされるのです。そこには同級生にしてやったと意気揚々としている自分がいたのです。

それを見ていたラーメン屋の主人が私を呼びました。

「勝ってる」ってニコニコしながら店の主人のところに向かうと、こっぴどく叱られます。「どうして負けてあげられないのか」って。
その時は理解できませんでしたが、数日後にクラスで分かります。その同級生の態度が明らかに違います。対等でもなく仲間でもなく…
相手を負けさせてしまった結果です。良い人間関係が保てなくなったということです。

相手を勝たせるのも強さのひとつ

と後悔から気づくことになりました。
その時は勝ち負け以上に大切なものを知らなかったのです。