心は存在するか?

すごく哲学的な題名ですが、「心」について少し考えてみます。
「合気道と心の関係について・・・」と話すと「武道は心だよね」って言葉も聞こえてきそうなわけですが、「心」って実際のところよくわからないですよね。
このブログでは心のひとつを「軸」という形で表現しています。

「心」は、はっきり現実世界にも存在しています。

愛気道では「軸」。
今回は、自分の過去の経験・別の方面からその「心」というものを見ていきますね。
ここでいう「軸」の意味もよりわかりやすくなるかもしれません。

以前、カメラマンの仕事をしている時でした。

まだフィルムの時代で今のようにデジタルではない時代です。フィルムで撮った写真とデジタルのセンサーで撮った写真では重さが違うとか質量が違うとか今回はそういったことではなく(もちろん違うその通りだと思います。この話はいずれ)、シャッターチャンスに関することです。
出版社の方に言われた一言が自分のカメラマンとしての人生を変えました。一気に成長させていただいた感じです。
「フィルムが入っていなくてもシャッターを切れ」です。何言ってんだかなぁ・・・写るわけないじゃんとかじゃなく、だから写るのです。

理由はこうです。
良いと思ってシャッターを切ってなければ良い瞬間は撮れてないってことです。当たり前かもしれませんが「それ」が写らないってことです。ピントや露出が合っていなくても「それ」を写すことがカメラマンのテクニックと言われました。もちろんプロなのでピントや露出が合っているのは当たり前のことです。当時、モータードライブという装置を使って連写をするのが主流でした(カメラ機材屋さんとフイルム屋さんが儲かるだけなのに、良い写真とは関係ないのに)が、自分は連写をしませんでした。「それ」を捕らえることが仕事だと思ったのです。
これを読んでるみなさんはお気づきかと思いますが、「それ」っていうのは「心」のことです。
「心」が入っていない写真は、どんなにピントが合ってようが露出(光量)が正確だろうが、形だけの写真、そこには何もないってことです。

「プロですよね。どっちの写真がいいと思いますか?」

って、風景写真を見せられたことがあります。1枚目は、少し明るい海の写真。2枚目は、少し暗い海の同じ写真。もちろんどんなに見ても答えられません。撮影した本人が決められないわけですから。
なぜシャッターを切ったか「それ」がないのです。多分、高いカメラを買ったからとか海の写真を撮ると芸術家っぽいからとでも思ったのでしょうか。
今、写真が手軽になりました。形を作るのが容易になりました。だからと言って「それ」を捕らえるのは至難の技です。
「それ」とは「心」です。

このことからも「心」が現実世界に存在するのがよくわかります。